宮城県南三陸町
ツアーメンバー:奥村かをる、京ヶ島弥生、赤松千里
現地コーディネーター:南三陸町災害ボランティアセンター
現地協力:小泉富士子(ハンドマッサージ)
11月26日 波伝谷仮設住宅 アロママッサージと整体(10名)
11月27日 馬場・中山仮設住宅、泊浜生活センター アロママッサージと整体(20名)
波伝谷の仮設住宅。80人の人口のうち約半分の住民が、鳴子の避難所を経由して地元の仮設住宅に戻っている。小高い丘の上にある。土地の提供者である三浦さんが仮設住宅の自治会長も兼ねる。小さいが、集会所があるので、宿に困るボランティアを泊めることもある。波伝谷は、東北学院大学の民俗学調査が入る程の古い集落で住民の繋がりも深い。被災した3月11日は、伝統の祭り(獅子が各戸を周り、豆腐を振る舞われる)の前日で村の集会所で、女の人を中心に祭りの食事の準備をしていた。村の直ぐ下が漁港。漁協の出張所もあり、水揚げもしていた。山間の田んぼは潮につかり、復旧の目処はたたない。

泊浜は、入江の美しい岬になっている。90%が漁業に従事。日頃避難訓練をしていたので、津波の第一波の時には全員が避難した。が、第一波が予想より小さかったため、自宅に物を取りに帰ったり、船を繋ぎに戻ったりした人が第二波で10人以上犠牲になった。津波の来る直前は、海水がひけて入江の水底が見えたという。震災前日の、定置網には「こんなに魚がかかることがあるのか」と思う程の魚がかかった。
4月末まで、道路が復旧せず、泥の中を四駆で病人などは運ぶことは出来たが、事実上孤立。自衛艦が入江に入って、物資供給や風呂の提供をしてくれた。海際の家はほとんど全壊。小高いところの家は無事だった。
この日は、久しぶりに気温も上がり、風もなかったので、わかめの種付けに出ている漁師さんが多かった。岬の海岸際を通る道路は、前日に復旧したばかりだった。